フィンランドで開業している私達のビジネス、ライフ・スタイル ブログです。 This is about our business and life in Pori, Finland.


by wa-connection

Lotta Svärd ロッタ・スヴァールドについて

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Lotta Svärd(ロッタ・スヴァールド)とは、フィンランドで内戦後、また戦争の機運高まっていた1920年代に女性達が「男性たちだけでなく、私たちも国のために何かをしたい」と立ち上がり国防活動をサポートするために組織された団体です。
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元々は白衛軍内部の女性たちが集会などで飲み物や食べ物を振る舞っていたグループが発祥といわれています。(フィンランドが二つに分かれて戦った内戦では、ロシア共産党寄りの労働者層から成る赤衛軍とフィンランド独立を目指す政治家、軍人、工場経営者、都市部市民から成る白衛軍が対立)
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国民的詩人ルーネベリ(J.L.Runeberg)の詩集
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Lottaの名称はこの詩から取られました。
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詩の最初の部分。
通称「ロッタ」(一般的な女性名。スヴァールドはスウェーデン語で「剣」の意味)と呼ばれていますが、1921年に生まれ、敗戦後に組織活動を禁止され1944年11月23日に解散となりました。
この20年あまりの間に最初は後方支援それも特に食糧配給に力を入れていましたがそのうち活動を拡大し、寄付呼びかけや事務、武器や機器の購入、入手に保守まで、そして前線後方での医療、領海/領空監視、照空隊に、広報活動、と実に幅広い活動を行っています。(ただし自らロッタ達が武器を持つことは有りませんでした)

10月に地元Pori市図書館にてロッタについての巡回展示があり、夫に是非行って勉強してこいといわれ、お話も伺ってきました。
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私が行った日に案内をして下さったのは、Leila Wester さん。彼女自身はロッタではなかったそうですが、戦争疎開児として戦地となった東部カルヤラ地方からスウエーデンに疎開させられた経験をもっているとのこと。存命のロッタたちで一番若い人は87歳だそうですから、経験者も減ってきているのでしょうね。
ロッタになるには成人していなくてはならず、幅広い年齢層の人たちが活動していましたが、もっと若い世代でPikkulotat(小さなロッタ達)部隊もいました。
彼女達は保護者が許せば参加することができ、下はなんと8歳から!上は16歳までの少女達が活動していました。

冬戦争(1939−1940年)には、ロッタ達のおかげで12000〜24000人の男性が前線に出られたといいます。
第二次世界大戦時には、ロッタ協会には24万人の会員がいたとか。かなり大きな組織です。
大人のロッタ達も、小さなロッタ達も、定期的に様々な講習、研修を受けました。
スポーツからリーダー研修まで分野はさまざま。

前述のロッタたちの仕事は幅広いものでしたが、もっともつらい仕事は戦士した兵士達の遺体処理であったといわれています。(遺体をきれいに洗ってやり、できるだけ見られる形にととのえ遺族のもとに送り届ける)どれほど辛い事だったかと私には想像すら難しいです。
戦線に近い仕事は、照空部隊ですね、戦闘機の標的にされる訳ですから非常に危険な仕事です。
展示には、会員証、手紙、集合写真、そして有名なロッタの腕章やバッジなどがあります。
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上からロッタのバッジ、そしてスポーツ振興(クロスカントリースキーやスケート)、研修修了バッジ、鉤十字内に数字があるのはロッタ10周年、20周年記念バッジ、などなど。

お祝いの席で着られたというウールの制服、そして普段の制服(より丈夫な生地)は案内役のLeilaさんが着ていました。襟元に付けられるのが青い鉤十字のバッジです。

写真の腕章はサタクンタ地方の自治体Luvia(ルヴィア)のもの。手刺繍したんでしょうね。
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よく誤解されるのですが、ナチスドイツの鉤十字、フィンランド語でいうところのHakaristi(swastika)は大昔のヒンズー教の幸運のシンボルをもとに意匠されたもので、日本のお寺などの地図記号で用いられる卍とは向きが違います。ロッタたちのシンボルは鉤十字の向きこそ同じですが、青を基調とし、水平になっており、ナチスの斜め45度のマークとは違いますのでご注意を。
このシンボルはフィンランド空軍も前世紀に用いており、スウエーデン貴族エリック・フォン・ローゼン(Erik Fon Rosen)が1918年にフィンランドに送ったフィンランドの白軍に対し最初の飛行機を贈ったのですがその飛行機に描かれていた彼個人の幸運のシンボルをもとにしています。
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(Copyright: Lotta svärd säätiö)
ロッタの紋章には鉤十字の周囲を4つのバラが囲むように配置されています。
展示でお話を聞いている間にも年配の方々が足を止めては母親や親戚でロッタだった人たちの思い出を語っていて人の流れは途切れる事はありません。

夫の家族には白衛軍カラー一色ではあっても、女性陣にロッタはいなかったとか。(自営業や農家で小さな子ども達がいて夫の祖母、曾祖母、伯母達は活動参加する時間がなかったのだろうと言っております)なんと小さなロッタ達の集合写真に長男のゴッドファーザーのお母さん(ポリで小さい頃過ごしていた)を発見!名簿があって分かりました。
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日本にも二十年以上牧師の妻として住まれた方で、現在80代後半でまだご健勝です。お元気で長生きしていただきたいものです。

ロッタ・スヴァールド協会は解散させられましたが、こうした団体の常で、名前を変え、活動内容を変え、実は地道に存続し続けていました。そして元々の活動を忘れない様、ロッタ達の活動の歴史を若い世代に周知していこうと現在の名前になったのは実に2004年。つまりは1900年代後半でもまだそういう雰囲気ではなかったという事です。
ヘルシンキから一時間の場所Tuusulaにロッタ・スヴァールド博物館があります。

レイラさんによると、若い人たちがまったくロッタたちの事を知らないのが本当に悲しい。この図書館の展示でも足を止めるのは高齢者、若くて中年の人たちばかり、と嘆いていました。もしフィンランドに観光される機会があり、ヘルシンキから一時間足を伸ばすことができたら、ぜひ画家Pekka Halonen (ペッカ・ハロネン)ゆかりの地(http://www.halosenniemi.fi/)でもありLotta museo ロッタ博物館(http://www.lottamuseo.fi/)がある場所にも足を運ばれてはいかがでしょうか。

私たちは来年夏に行ってみようと考えています。

ロッタ・スヴァールドの伝統を守る組織は地方に数カ所あり、ポリにも支部があります。フィンランド語名はLottaperinne Pori ryです。400名の会員がいるとか。

下は おまけに、「ロッタ達のパン」についての記事。
パン一つとっても、戦地での輸送や雑嚢にいれて持ち運ぶことができ、しっかり乾燥していて湿気に耐え、さらに不規則な食生活で歯がぼろぼろになっている兵隊達でも食べられるものでなくてはならなかったそうです。
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by wa-connection | 2014-10-27 04:22 | finland in general