フィンランドで開業している私達のビジネス、ライフ・スタイル ブログです。 This is about our business and life in Pori, Finland.


by wa-connection

カテゴリ:finland in general( 91 )

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町の中心部にある市場のツリー。クリスマス週に雪が積もってやっと辺り(視界)が雪あかりといいますか、明るくなりました!良かった〜。

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義弟のとこのラブラドールと一緒に親戚の森にトウヒを切り出しに21日8名で繰り出しました。
写真は雪に埋もれているコケモモ(リンゴンべりー)。
フィンランドではだいたい自宅でのツリーの飾り付けはぎりぎりクリスマス・イブだったりします。
公共の場所には一回目の待降節辺りから登場しますが日本のように11月からイルミネーションということはさすがにないです。、、、ないと思います。

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ヘザーも綺麗です。

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これという木に目をつけて二本切り出し。更に家庭の置く場所の天井の高さに合わせて根元をノコギリで切り落とします。

ツリー市場で売られているのは植林されて10年ちょっとのものでこれより枝ぶりも生い茂ったいい感じのものですが、まぁ天然には天然のよさがあると思います。

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リンゴンベリーもう一枚。森の中は綺麗なものがたくさんで、久しぶりに一眼レフ持って行って良かった・・・。

さて、週末に聖トゥオマスの市場があってそこでドアに飾るリースを買い求めました。色々あって迷ったけど↓これ
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そして生地を手作りして(子供達ろ夫)置いて寝かせて翌日にジンジャーブレッド型抜き。



その翌日にシュガーコーティングを子供達が(前半やって力尽きたところで夫が残りの仕上げ。)私は三週間ぶりに剣道稽古納めに行かせて貰いました。


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こんな感じに23日の夕方には出来上がってましたよ。
これだけあるので毎日少しずつ食べます。(カロリー過多)

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by wa-connection | 2014-12-26 04:02 | finland in general
実際は下手するとそうなりかねない、というところかもしれませんが、現在ヘルシンキの幾つかの美術館が改修/拡張工事中です。
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これは10月の新聞記事から読んだものですが、
現在国立美術館アテネウムは3階が改修のため閉鎖中。
ヘルシンキ市立美術館は拡張工事のため来秋まで閉鎖中。
アモス・アンダーセン美術館もラシパラッツィLasipalatsiの広場の下へ移転計画中。

でもってヘルシンキに誘致しようとしているグッゲンハイム美術館は現在建築デザインコンペのファイナリストが発表されていますが、資金確保はまだまだどうなることやら、、、の状態。

というわけでヘルシンキの美術館関係者は改めて新装オープンした後、いかに集客をするか頭をひねっているというところらしい。

そこで呼ばれたのが英国でテートやV&A美術館の救世主となったDamien Whitmore氏。
彼は現在世界の様々な美術館に対しコンサルティングで引っ張りだこだそうです。発言もかなり強気。

ヘルシンキに来た時の講演では、「美術館にとって、もっとも大切な人は誰でしょう?」
という彼の質問に対し、関係者は、、、、「キュレーター?」
ダミアンさん、眉間の皺深まる。全然求める答えと違う模様。
何度かやり取りを経て、最終的に正解が。「そう!美術館に足を運ぶ人です!」

いやぁ、こういう態度でいれば、来館者の足が遠のくのも分かりますね。エリート意識を持っていちゃだめだと。
美術館関係者の役目は、人々にアートを分かりやすく説明する事なのだから、と熱っぽく語っていた様です。

美術館がスターバックスである必要は無いが、来館者にとって、美術館に足を運んだ人が、そこに足を踏み入れて、出てくるまでに何を体験するか、それがある種「ハプニング」でなくてはならない、と言っています。

2003年に彼がヴィクトリア&アルバート美術館に赴任したときはスタッフはなんとそこで勤務している事を恥じていたとか。古くさいイメージが定着してしまい、職員も代わり映えのしない毎日に働く喜びを見いだせないでいたのでしょうね。
複数の部門で横の連携が全く機能しておらず、建物は古くさく、資金も無く、来場者からは入館料を取り、、、「信じられない」とダミアンさん。資金は他から調達するべきで、やってくる人から徴収するべきじゃない、と。

そこから数十回ものブランディング会議(V&Aというブランドを構築する為)、ワークショップを重ね、それまでの豊富な知識体験を生かす事を徹底。そして意識もV&Aが世界でもっとも重要なアートインダストリー美術館であるべきという方向に持って行ったようです。
具体的にいつ、とはあげられないそうですが最終的にはそのメッセージはスタッフ達全員に行き渡った模様。
そしてホィットモア氏が提案した最初の展示会、ヴェルサーチのファッションのポスターを見たスタッフ達は、V&Aのロゴが展示会そのものの写真より3倍も大きいのに驚いたとか。

もっとも重要なのはテーマに対するV&A美術館の「観点」であり、テーマそのもの(この場合ヴェルサーチのドレス類)ではないという事だったのです。
数十万人がそのメッセージを受け取り、理解し、マドンナがオープニングにやってきました。

「難しいのは、その後の成功の維持です」

継続して成功する為に必要なことは、展示会だけに頼っていてはだめだということです。
美術館とは、建物そのものではなく、コンテンツのプロデューサーでなくてはならないと。
展示自体は美術館の仕事の一部に過ぎないのだとか。
昨年のV&Aの「デビッド・ボウイ展」にはロンドンで30万人が来場しました。その後、各地へ巡回。

興味を持った100万人がV&A会報でその内容を読んでいます。
そしてなんと一千万人が展示内容を知ろうと美術館のサイトを訪れています。
V&Aはこの為だけに単に作品紹介にとどまらない特別コンテンツを制作したとか。


なるほどねぇ、、、

ダミアンさんはグッゲンハイムについては、現代において、奇抜な建物を建てる事で集客しようとするコンセプトがまだ有効かどうかは分からない、としています。
ヘルシンキ市民も、高いお金を(つまりは税金が大部分だろうし)つぎ込んでうまく行くかどうか分からないものに投資するより、普段よく利用する、既存の複数の図書館の所蔵書籍を補充するなり設備補修するなり、もっと良くしてほしいといった要望も昨年出ていましたね。

というわけで、現在美術館が危機というよりは、危機感を持っている、持った方がいいという事なのですが、
面白かったので取り上げました。

最後にダミアンさんからは「キアズマ美術館の名前は絶対変えた方が良い!喘息(英語でasthma)か、女性用バイアグラを思い起こさせるよ!ヘルシンキ現代美術館でいいじゃないか」とのこと。
さて、どうでしょう・・・

旅行に来られる方は、「ええ〜じゃあ行くとこがないの?」という事は有りません!
アテネウムも「シベリウス展」を10月からやっていますし(私は今月家族で行きます!)、EMMAなどもありますし、美術館だけでなく他にもデザイン・ミュージアムなどもありますし、、、、

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個人的に一番文章がお上手だなと思うのはオウルのカトさん。どれも読み応えがあって、読み物としてまとまりがあります。既に一冊の本になる分量と質を十分備えていると思うのです。いや私なんて好き勝手書き散らすだけで、全然だめだな、としみじみ思う訳ですよ。

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by wa-connection | 2014-12-06 06:29 | finland in general
※長いです。
フィンランドのベテラン翻訳家にインタビューした9月頃の新聞記事があって、翻訳の仕事の仕方、タイプの違いなど興味深かったので訳してみました。

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「一流の翻訳家達は不可能に思われた作品のフィンランド語訳もやってのける」

Helsingin Sanomat 元の記事へのリンク(フィンランド語です)


ヘルシンキ中心地にある二部屋の古い洗濯室——
その両方で純文学の翻訳家が仕事をしている。その二人ともこの秋にあらたな翻訳作品が出版される所だ。二つとも世界文学の古典ともいうべき、そして翻訳不可能とまで−−少なくとも非常に困難だろうと−−言われていた作品だ。

クリスティーナ・ドレウズはウラジーミル・ナバコフのカルト的作品の翻訳を2013年夏に始め、今週『Kalvas hehku(邦訳:青白い炎)』が印刷に回った所だ(注:10月に上梓)。

ユハニ・リンドホルムからは米国人作家トマス・ピンチョンの分厚い『Painovoiman sateenkaari (邦訳:重力の虹)』が9月末に上梓された。この作品を訳しきるのに2009年から2011年の間合計18ヶ月を——しかもフルタイムで——要した。

これらの作品のどんなところ難しかったのだろう?

ロシアから米国に亡命した作家ナボコフ(1899—1977年)の『青白い炎』については、それが何なのか、はっきり言う事が難しい。導入部はジョン・シェイドという名の詩人による999行もの詩だ。その後学者チャールズ・キンボーテの述べる意見が続き、注釈、索引がある。

これらすべてが作品全体を文章とともに言語の迷路で一つにつながっているのだ。本作品はポストモダン時代の小説でありまた文学史に名を残す作品の一つである。

「参照部分がそれこそシェークスピアから全分野にわたってありましたね。」ドレウズはいう。「言い換えれば、作品にはナボコフの人生がかなりの分量詰め込まれています。それは世界史であり政治であり、ツァーリ時代の帝政ロシアの記憶であり。もちろん想像上のゼンブラ国としてではありますが。キンボーテはゼンブラ国から追われた支配者だったのかもしれないし、はたまた彼はただの気がふれた人だったのかもしれません。」

ピンチョン(1937生)の作品では翻訳の難しさは一言で言えばそのあまりの幅広さ、であろうか。ページ数は千に及ぶ。ある部分では『重力の虹』は第二次世界大戦とその当時のロケット技術を述べ、また一方では激しく荒々しく誰にも止められないような夢想をしてみせる。

登場人物も四百人近く、語り部、言語、諺なども多い。弾道学からカバラー思想、哲学、化学、経済学そして作中では映画、音楽だけでなく麻薬にまで話題が及ぶ。

リンドホルムは、本作品はヒッピー時代の精神世界を描いているという。その雰囲気はロバート・クラムのアングラ・コミック作品に近い。同時に、作品はかなり悲劇的で戦争が引き裂く国、国民そして個々の人々を描く。

「ピンチョンは以前航空業界のテクニカル・ライターとして働いていましたからそれがここにも表れています。作中の多くのトピックに関して僕は無知でしたけど、翻訳者はカメレオンですからね。」

「翻訳にあたってはジャーナリストの経験と、勤勉にやるって言う性格も役立ちましたね。分からない事は調べ、文章をじっくり読み直します。調性を見極めて作品が一つの音楽を奏でるようにする。同時に自分自身は一年半の間、全く別の人生も生きなくてはならない。」

これを可能にするには二つのやり方がある。一方の翻訳者たちはリンドホルムのように朝出勤し、一日中訳し、夕方帰宅する。もう一方の翻訳者たちはドレウズが言うように「いうなればずっと仕事をしているようなものですね」ということだ。

「私が前回まともな休暇を取ったのは2002年の事だったかと思いますよ。ジョイス・キャロル・オーツの『ブロンド』※を訳し終えた時ね。あの時は夫と二人で一週間カナリア諸島に何もかも忘れて行きました。」(注:マリリン・モンローの生涯をオーツがフィクションも含め描いた超大作。邦訳では上下巻合わせ1300ページに及ぶ)

通常は翻訳は仕事場から自宅へ、そして夏はサマーコテージへと常について回る。「若い頃は早朝5時頃に起きて、家族が起きる前に二、三時間ほど翻訳をしましたね。日が長いから光は十分有るし。」現在は一番下の息子が高校生になり、楽になってきました。ナボコフの翻訳では春にコネ社財団のレジデンスで二ヶ月スペースを借りて打ち込む事ができました。」

訳者の性格によっても訳すという事に対する違いが表れる。
リンドホルムがピンチョンの翻訳で日に多くとも二頁分をもう修正を入れない最終の訳として翻訳したと言えば、ドレウズは五〜十頁の「下訳」をまずするのだという。彼女はそれを再び訳し直し、何度も修正しながら最後まで文章を磨き上げようとする。「どこまでいっても修正が終わらないように感じる」のだという。

ナバコフの作品では特にそうだった。原文が常に語りかけ、ドレウズは度々もう訳し終えた部分に戻り修正しなくてはならなかった。

彼女の場合は原書の他言語の翻訳書も参照する。「内容の理解に役立つんですよ。勿論、翻訳の解決には結びつきませんけれど。」

リンドホルムの場合はほかの訳者の作品はまったく手を触れない。「性格でしょうね。読んで影響を受けるのが怖いんですよ。」

ピンチョンの場合は、おそらくその可能性は低かったろう。この作品の他言語への翻訳書自体が少ないからだ。

文学の翻訳というのは特殊な職業だ。共通の学位があるわけではなく、翻訳者の経歴も様々だ。ドレウズは英語と文学を専攻した。リンドホルムは文学を専攻したが言語は(高等教育で)学んでいない。

翻訳家ヤーナ・カパリーヤッタ(注:ハリー・ポッターのフィンランド語訳を成し遂げ、翻訳賞もフィンランドで受賞した)のように一族に翻訳家がいて、という場合もあるが、通訳、ジャーナリスト、法律家、作家、教師が翻訳をしている場合も多い。

「役人のように譲らず、揺るがない経営者である必要が有りますね、報酬でおいそれとは譲らないが、締め切りは守る人。」とドレウズは考える。「同時にしっかりと芸術家でなければね。」

なぜなら文学の翻訳は創造、つまり作家の言葉の新たな解釈を試みる、ということであるからだ。
翻訳家以上に重要な読者は存在しない。訳者の置き換えた言語で、その作家が、対象言語ができたならきっと同じ言葉を選んだであろうと思えるものでなくてはならない。

さらにそのスタイルはその訳者らしさが必然だ。なぜなら翻訳に必要なのはその書籍が書かれた言語の能力ではなく、翻訳後の言語をいかに自由に使いこなせるかの能力がものを言うからだ。

名人並みの言語の意識がなければ、『冷たい炎』ほどの詩学に近い長さを持つ詩をフィンランド語に訳し、長さこそ違え、同じ雰囲気を醸し出させる事は難しい。フィンランド語では英語とはかかる音節やその長さが異なるからだ。

またこの母国語の能力がなければ、リンドホルムが『重力の虹』でやってのけたように言葉遊びを言語から言語へと変換する事はできない。たとえばyou, never, did, the, Kenosha と kid を、 リンドホルムは voi, ei, jää, yksin そして tein としてみせ、言葉の列に全く違う意味を持たせた。中身は全く違うが、目的は同じでその言葉が与える影響は無理なくストーリーに馴染む。

「言ってみれば不可能な話なんですよ。誰かが何かを書いて、もう一人がそれをもう一回書くようなものです。それでも違う国に住む読者たちがあたかも一冊のまったく同じ作品しかないようにその事を話し合っているようなものなんですから」とドリューズは表現する。

専業で書籍翻訳をやっているのはフィンランドではおよそ二百名程度だろう、と二人は言う。

二人は既に経験豊かな年長の翻訳者たちであり、成功もしている。二人とも翻訳作品を認められ、国から賞を受け、助成金も得ている。

ただ、フィンランドで文学作品のみを翻訳してやっていけるケースは少ないだろう。ドレウズは「多くの翻訳者が複数言語から翻訳をしています。なぜなら英語以外の言語でそこまで需要がないからです。」と指摘する。

また二十年前にくらべて海外作品の翻訳が売れない、または出版しにくいという現在の事情もある。

「多くの翻訳者が転職しています。」と言うリンドホルムが憂えるのは「現在は若くて未経験な翻訳者がもっと待遇のいい仕事に転職できるまでの間、翻訳を安く請け負うという状態です」。リンドホルムにとっては、これは遠からず翻訳の質を落とす負のスパイラルになるだろうという。

ドレウズはもう少し楽観的だ。「翻訳とは訳すことで常に学んで行く仕事です。私たちより若い40代の訳者達は非常に実際的に取り組んでいます。結束も有るし、その為の組織も、そして自主的な勉強といった動きも活発です。」

だからこそ、あらたな大作の翻訳にも希望がある。

もし選べるのであれば何を訳したいか?という質問に、ドレウズは現在取り組んでいるのがマーガレット・アトウッドの『マッドアダム』を、そしてリンドホルムはイアン・マキューアンの今年九月に出版されたばかりの『The Children Act』に取り組んでいる所だという。両方とも来年フィンランド語版が出版予定だ。

ドレウズは「スコットランドのアリ・スミスは大好きな作家の一人です。もっとフィンランド語に訳したいと願っています。」リンドホルムは古典を選んだ。「ウィリアム・フォークナーとポール・ボウルズですかね。」


ユハニ・リンドホルム
1951年生まれ、翻訳家
1982年から翻訳を生業とする。英語からの翻訳は百作品余り。スウェーデン語からの翻訳は数冊
散文に加えノン・フィクション、詩などを翻訳。
J.A.ホッロ賞受賞(通訳翻訳家協会のノンフィクション翻訳作品に与えられる賞)と国からの文学に関わる賞を2009年受賞
既婚、娘二人。

クリスティーナ・ドレウズ
1952年生、翻訳家
1979年から翻訳を生業とする。散文翻訳が60作品余り。
演劇やミュージカルもユッカ・ヴィルタネンとともに翻訳している。

フィンランド翻訳家通訳協会役員会メンバー(1990〜2006年)
国家文学委員会の一員(2007〜2012年)
国からの翻訳家賞1989年、ミカエル・アグリコラ賞1998年
既婚、男児四人。

(終)

以上です。
読んでいて改めて翻訳には幅広い、深い教養が不可欠だと感じ入りました。たった一冊をしかももう一人の方と共同で訳しただけの私はとやかく言える立場ではなく、それ以前に教養の蓄積がまったく足りないというのも改めて実感しました。だらだらしていないでもっといいものをたくさん読むべきですね。
とは言っても、これも教養を取り入れる一手段である新聞も二紙取っているのでどんどん積み重なって行き、さばくのに苦労しております。

これも一頁ちょっとの記事ですが訳すのに1時間半掛かったような、、、
荒く訳しておりますので、日を見て必要な所に修正を入れさせて頂こうと思います、あしからず。

ピンチョン作品は邦訳で読んでみたいですね、ぜひ。日本でも今年秋に出た所ですから。
英語ではとても読む素養がございません。 フィンランド語でもどうかなぁ、、フィンランド人記者が書評を書くのにネットにあるピンチョンコミュニティの話やキーワードを見ながら読んだと書いてあったのですが(本人もこれは邪道だと認めつつ)、ううむ。それだけ難しいということでもありますね。

読んでやったよ、
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by wa-connection | 2014-11-19 07:08 | finland in general

積雪

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先週も少しだけポリでは雪が降りましたが昨晩どかっと降って10cmちょっと積もりました。
まだ夏タイヤの人もいるかもしれないので今日の運転は気をつけないと、ですね。

気温は0度前後なのですぐ溶けると思われますが、ナナカマドに積もった雪が南天を思い出させる風情です。
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by wa-connection | 2014-11-07 15:45 | finland in general
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Lotta Svärd(ロッタ・スヴァールド)とは、フィンランドで内戦後、また戦争の機運高まっていた1920年代に女性達が「男性たちだけでなく、私たちも国のために何かをしたい」と立ち上がり国防活動をサポートするために組織された団体です。
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元々は白衛軍内部の女性たちが集会などで飲み物や食べ物を振る舞っていたグループが発祥といわれています。(フィンランドが二つに分かれて戦った内戦では、ロシア共産党寄りの労働者層から成る赤衛軍とフィンランド独立を目指す政治家、軍人、工場経営者、都市部市民から成る白衛軍が対立)
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国民的詩人ルーネベリ(J.L.Runeberg)の詩集
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Lottaの名称はこの詩から取られました。
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詩の最初の部分。
通称「ロッタ」(一般的な女性名。スヴァールドはスウェーデン語で「剣」の意味)と呼ばれていますが、1921年に生まれ、敗戦後に組織活動を禁止され1944年11月23日に解散となりました。
この20年あまりの間に最初は後方支援それも特に食糧配給に力を入れていましたがそのうち活動を拡大し、寄付呼びかけや事務、武器や機器の購入、入手に保守まで、そして前線後方での医療、領海/領空監視、照空隊に、広報活動、と実に幅広い活動を行っています。(ただし自らロッタ達が武器を持つことは有りませんでした)

10月に地元Pori市図書館にてロッタについての巡回展示があり、夫に是非行って勉強してこいといわれ、お話も伺ってきました。
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私が行った日に案内をして下さったのは、Leila Wester さん。彼女自身はロッタではなかったそうですが、戦争疎開児として戦地となった東部カルヤラ地方からスウエーデンに疎開させられた経験をもっているとのこと。存命のロッタたちで一番若い人は87歳だそうですから、経験者も減ってきているのでしょうね。
ロッタになるには成人していなくてはならず、幅広い年齢層の人たちが活動していましたが、もっと若い世代でPikkulotat(小さなロッタ達)部隊もいました。
彼女達は保護者が許せば参加することができ、下はなんと8歳から!上は16歳までの少女達が活動していました。

冬戦争(1939−1940年)には、ロッタ達のおかげで12000〜24000人の男性が前線に出られたといいます。
第二次世界大戦時には、ロッタ協会には24万人の会員がいたとか。かなり大きな組織です。
大人のロッタ達も、小さなロッタ達も、定期的に様々な講習、研修を受けました。
スポーツからリーダー研修まで分野はさまざま。

前述のロッタたちの仕事は幅広いものでしたが、もっともつらい仕事は戦士した兵士達の遺体処理であったといわれています。(遺体をきれいに洗ってやり、できるだけ見られる形にととのえ遺族のもとに送り届ける)どれほど辛い事だったかと私には想像すら難しいです。
戦線に近い仕事は、照空部隊ですね、戦闘機の標的にされる訳ですから非常に危険な仕事です。
展示には、会員証、手紙、集合写真、そして有名なロッタの腕章やバッジなどがあります。
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上からロッタのバッジ、そしてスポーツ振興(クロスカントリースキーやスケート)、研修修了バッジ、鉤十字内に数字があるのはロッタ10周年、20周年記念バッジ、などなど。

お祝いの席で着られたというウールの制服、そして普段の制服(より丈夫な生地)は案内役のLeilaさんが着ていました。襟元に付けられるのが青い鉤十字のバッジです。

写真の腕章はサタクンタ地方の自治体Luvia(ルヴィア)のもの。手刺繍したんでしょうね。
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よく誤解されるのですが、ナチスドイツの鉤十字、フィンランド語でいうところのHakaristi(swastika)は大昔のヒンズー教の幸運のシンボルをもとに意匠されたもので、日本のお寺などの地図記号で用いられる卍とは向きが違います。ロッタたちのシンボルは鉤十字の向きこそ同じですが、青を基調とし、水平になっており、ナチスの斜め45度のマークとは違いますのでご注意を。
このシンボルはフィンランド空軍も前世紀に用いており、スウエーデン貴族エリック・フォン・ローゼン(Erik Fon Rosen)が1918年にフィンランドに送ったフィンランドの白軍に対し最初の飛行機を贈ったのですがその飛行機に描かれていた彼個人の幸運のシンボルをもとにしています。
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(Copyright: Lotta svärd säätiö)
ロッタの紋章には鉤十字の周囲を4つのバラが囲むように配置されています。
展示でお話を聞いている間にも年配の方々が足を止めては母親や親戚でロッタだった人たちの思い出を語っていて人の流れは途切れる事はありません。

夫の家族には白衛軍カラー一色ではあっても、女性陣にロッタはいなかったとか。(自営業や農家で小さな子ども達がいて夫の祖母、曾祖母、伯母達は活動参加する時間がなかったのだろうと言っております)なんと小さなロッタ達の集合写真に長男のゴッドファーザーのお母さん(ポリで小さい頃過ごしていた)を発見!名簿があって分かりました。
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日本にも二十年以上牧師の妻として住まれた方で、現在80代後半でまだご健勝です。お元気で長生きしていただきたいものです。

ロッタ・スヴァールド協会は解散させられましたが、こうした団体の常で、名前を変え、活動内容を変え、実は地道に存続し続けていました。そして元々の活動を忘れない様、ロッタ達の活動の歴史を若い世代に周知していこうと現在の名前になったのは実に2004年。つまりは1900年代後半でもまだそういう雰囲気ではなかったという事です。
ヘルシンキから一時間の場所Tuusulaにロッタ・スヴァールド博物館があります。

レイラさんによると、若い人たちがまったくロッタたちの事を知らないのが本当に悲しい。この図書館の展示でも足を止めるのは高齢者、若くて中年の人たちばかり、と嘆いていました。もしフィンランドに観光される機会があり、ヘルシンキから一時間足を伸ばすことができたら、ぜひ画家Pekka Halonen (ペッカ・ハロネン)ゆかりの地(http://www.halosenniemi.fi/)でもありLotta museo ロッタ博物館(http://www.lottamuseo.fi/)がある場所にも足を運ばれてはいかがでしょうか。

私たちは来年夏に行ってみようと考えています。

ロッタ・スヴァールドの伝統を守る組織は地方に数カ所あり、ポリにも支部があります。フィンランド語名はLottaperinne Pori ryです。400名の会員がいるとか。

下は おまけに、「ロッタ達のパン」についての記事。
パン一つとっても、戦地での輸送や雑嚢にいれて持ち運ぶことができ、しっかり乾燥していて湿気に耐え、さらに不規則な食生活で歯がぼろぼろになっている兵隊達でも食べられるものでなくてはならなかったそうです。
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by wa-connection | 2014-10-27 04:22 | finland in general

秋の恵み

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ポリの市場にていつも買う野菜のお店の品揃え。根菜増えて来ました。。。

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先月末から結構雨続きだったんですが、一転9月半ばまで好天続きで、森も乾燥したのかポリ付近でキノコがあまり出回りません。朝露は降りてるんですけどね。
やっと昨日買ってきたSuppilovahvero(スッピロヴァフヴェロ、和名はありません。ろうとの形をしているのでフィンランド語でこの名前が)で昨日は夫が野菜と炒めてハーブソルトとバターで味付けしたのをホイル包みで炭火焼きしてました。
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お客様があったので夫が庭のリンゴでパイを。これは第一段階でこの後黄身と砂糖の卵生地をかけてもう一度オーブンで焼くと砂糖がいい感じに焦げてできあがりです。
ビールもプシュっといって、サウナに入ってとっても楽しい晩でした。

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さてただいままたヘルシンキに行くバスの中。
外見はこういう派手な格安バスです。
夜中に日帰りします。片道一時間の街にお客様と待ち合わせして移動しますが、ヘルシンキ滞在1時間は新記録かも、、、(汗)

帰りはヘルシンキまで戻らずそこから電車です。


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by wa-connection | 2014-09-17 18:52 | finland in general
お友達のさりちゃんが、一年の京都の老舗料亭「菊乃井」での修行からフィンランドに帰国、5月からTurku近くのParainen(パライネン、スウェーデン語でパルガス)で小さなレストランを開店して2か月、やっとお邪魔することができました。
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ちょうど私たちが行く5日前の金曜日、全国で読まれているHelsingin Sanomat紙の週末ついてくる別冊「Nyt(Nowという意味)」の「休暇中のレストラン紹介トゥルク周辺編」特集でみごと紹介されていたTATA TAKEAWAY。
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その紹介の仕方が、小さいながらも、Turkuにある「KARU IZAKAYA」というフィンランド人経営の居酒屋というレストラン(フィンランド人がやるエスニックって、ちょっと残念な感じ多いんですよ)が「まぁまぁだけど、ガツンと感動させられるわけではない」と記者が書いた後続けて、「日本(料理)といえば、ガツンと来るのはトゥルクではなく、パライネンにあるTATA TAKEAWAYだ。フィンランドに移住した日本人のサリ・スロッテはSaaristotieのそばにTATA TAKEAWAYをオープンした。出身地京都にある有名な菊乃井で修業した腕前は、料理で味わうことができる。ちなみにここでも寿司が注文できる」

といった風にかなり好意的に紹介され、その日から客足が何倍にも膨れ上がり、さりさんは寿司ロボットと化したとか。

フィンランド人は日本料理というと寿司しか思いつかない人が多いんですよねぇ。(私もこの点会う人ごとに日本料理は寿司だけじゃ、てんぷらだけじゃないんだ!と力説してるんですけど、まったく浸透せず・・・かなり諦めが入ってますが)

料亭で修業した人に寿司作らせるのは非常にしのびないですが、お客さんが食べたいものをつくるのも一つの方針だということでした。健気だなぁ。

しかし私たちははるばるお寿司をお願いしに行ったのではなく、もうシェフお任せメニュー!食べ盛りの息子たちがいたためがっつり満腹メニューをわざわざ考えてくれて幸せなご飯が食べられました。

この日のランチは牛丼とお寿司。

夕方4時に4名で予約を入れ、
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まずは前菜に、海藻サラダとブロッコリーとイチゴの白和え。

ねりごまがはいったこんなクリーミーな白和えは初めて!

ああ、幸せ。

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そしてとんかつとKuhaという白身の魚のフライ。タルタルソース付。
衣がサクサクしてる・・・家でやってまずこんな風にできないです。

そして牛丼も量を減らして出してくれました。
銀色の塗りのお椀が素敵。
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牛肉は霜降りだとランチ価格(9ユーロ)には出せないので、赤身を良く煮込んであるそう。脂身がなくてもほろほろして美味しかった・・・

おみそ汁がまた絶品で。うちの子たち今までうちのおみそ汁が一番だと言っておりましたが、長男が横から「お母さんこういうおみそ汁作って」とリクエスト来た~!
しっかりコツを伺いました。できるかどうかは別にして。

そして悪いなと思いつつもお寿司も頂いて。
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綺麗な太巻き、裏巻き、そしてサーモンなどを。
やっぱり作りたてを食べるのが一番ですね。あれだけ食べているのに完食しました。

そしてほうじ茶を頂きつつ、デザートですよ(涙)
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寒天にあんこにイチゴに。(だったと思う)

はーもう天国。

私たちが4時に入店してからも、ひっきりなしに入口にお客さんが。

さりちゃん「お寿司は一時間待ちです!」言い続け。
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HS紙の記事と同じ日に地元のスウェーデン語フリーペーパーにも紹介記事が掲載されたそうで二重の喜び、いや仕事量が恐ろしいことになってました。

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4時過ぎに旦那さんSさんがお仕事を終えてさっそうと登場。

注文を取り、スウェーデン語系のお客に寿司とはなにか、お箸難しかったら手でいいですよ、ほうじちゃ飲みますか(緑茶をローストしたものでね・・)もの慣れた調子で説明しておる。
毎日やっているんだろうなぁと感心しました。
電話も良くかかってくる。寿司お持ち帰りしたい人も多いようです。

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お父さんがたまたま今こちらに滞在中で、(昨年もポップアップ・レストランをやっておいでだった)お手伝いされているのが大きな手助けとなっているのが見受けられました。

来月以降、人手がないなか、どうやってやっていくか、大変だろうけど体を壊さず続けていってください。

近かったら夫と交代でお手伝いに伺うのに。(私たちじゃ足手まといになる確率が高
いけど!)

というわけで皆さん、Turku方面へ車で行かれる方はParainenへもぜひ。
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可愛らしい石造りの教会(写真は鐘楼)と
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小さな旧市街と水路がある島です。
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by wa-connection | 2014-07-21 05:31 | finland in general
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小笠原流の家元のご子息、小笠原清基さんでしたか。鹿革の当てと鎌倉時代の色鮮やかな衣装、気性が一番激しいという馬の綺麗な毛並みがもはや一対の絵巻物のよう。
おそらく水干装束?
腕前もさすがじゃじゃ馬(お馬さんの性別不明ですが、すみません)を乗りこなした上で美しい射手姿でございました。
個人的に「太平記」の婆娑羅者の描写を彷彿とさせる派手やかな格好に胸キュン(死語復活委員会=萌えるともいう)でした。
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鎌倉時代の狩人の装束で三名
そして流鏑馬が復興した頃の江戸時代の軽装で五名、繰り返し、、
と最後に最も高位の鎌倉時代の狩装束(あげ装束ともいうそう)で射手三名という構成。射る前の掛け声は「陰陽)インヨー)!」と叫び矢をつがえて(息を止めるんだろうな)射る。


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命中!「おお!」と会場のどよめき。
的は木目の杉板で裏に水で悪い気を祓う絵を描いてあるんだとか。
四角い杉板はKangasalaで見学した@Kahvikisuさんのお話では割れた的も次の的として使いどんどん小さくなって行ったのがしびれたのだそうで、それを聞いて物を無駄にしないということと小さい的にもきっちり当てて行く腕の正確さにも改めて感心しました。

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鏑矢(先が二つに割れているタイプ)を拾い集め、手渡す儀式。

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流鏑馬は神事であり神様に奉納するためのものだそうで、鶴岡八幡宮宮司さん始め諸役の方々もいらっしゃって本式の神事が執り行われました。御神体も運ばれたのだとか、、!?
本番前の練習をする巫女さんたち。
つまりは流鏑馬を見られるまでかなり時間がかかったわけで小さなお子さん、赤ちゃんもう疲れてあちこちでワンワン大合唱。
よく頑張ったね、お子さんたちもあやしていた親御さんたちもそれなりに暑い中お疲れ様でした。

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舞楽も終わったあとだったか、フィンランドのトウヒ(Kuusi)に神様を呼び降ろす祝詞もあって。玉串がわりにトウヒかぁ、と感心。
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フィンランド人ボランティアの方々が装束に身を包み粛々と配置に。
それがね、馬子にも衣装、ということじゃなくて意外とフィンランド人が身につけても似合ってましたよ!一人兜なのにサングラスの男性がいてちょっと違和感あって笑っちゃったけどご愛嬌ということで。

結構長い時間がかかりましたが我が家は子供達も小学生だし食べ物さえ時々与えれば静かにしているんで、とても楽しめました。
準備から関わった皆様本当に有難うございました。


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by wa-connection | 2014-06-09 04:28 | finland in general
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二回目の参加、行って参りました。
(前回はご近所ママさんたちと2008年に参加だった→ その時の記事はこれ
快晴、しかも30度のフィンランドでこの春一番?な暑さと湿気の中、タンペレの女子ランニングイベントに。
今年参加者に配られたシャツはオレンジ色。7年ほど前に行った時はショッキングピンクだったなぁ。いやスタジアムに女子ばっか老若集合した様は実に壮観であります。
仮装も色々楽しそうだった。

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私はKさんと9.5kmランナーコースに。
ウォーミングアップです。
13:30出発。

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3km地点で水分補給ポイントだったか、まだ表情余裕です。暑いけど。(しつこい)日焼けと汗も防止に長袖長タイツで行きましたが黒い色は失敗だった、、、
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お互い6、7、8kmあたりはちょっと辛くて無言で走りますたよ、、、
kさんはハーフマラソンも経験してるランナーの先輩(といっても私よりだいぶお若い)ですがお子さんが生まれてまだ一年経ってないので走りこむ時間も以前ほど取れていないこともあって、私もなんとかついて行けるペースでした!

写真は終了後もらえる軽食セット。Viaという手の込んだお惣菜系のタイ風チキンヌードル。スィートチリソースが効いておった。
それにライ麦パンと炭酸水とスナックバー。以前の方がご飯多かったような?
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タイムはまずまず。

ルートはこんな感じ。
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あとゴールで以前は消防士さんたちがスタンバイしてハグをしてくれてましたが今回もホームページによると居るはずが不在で、私たちスタジアムに帰って半周近く走って???まぁじゃあこれで終了ってことで!
ハイファイブぐらいすれば良かったなー。

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kさんちでシャワーをお借りし、着替えて駅前のMasuというアジアンレストランへ。まぁまぁ、美味しかったです。フュージョンなのでちゃんとした和食かコリアンを期待せずに行けば楽しめると。分量多いので確認は必要。
写真のキリンはKさんちのかわゆいHちゃんのおもちゃ。

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そして夕食後、ホッケー世界選手権の対チェコ戦をバーで観戦してもいいよという優しいMさんのお誘いを失礼にもお断りして駅構内のカフェで要所要所チラ見しつつ仕事。
勝っちゃいましたよ、3-0。こっそり興奮したなー、カフェで。
(三点目はGK引き上げたあとに得点)
監督のきちんとしたディフェンスといいGKという戦略が後半になって功を奏してきたようです。

というわけであと2時間で最初に一回負けたロシアとの決勝です!!!
3ピリになったら見ようかなと。それまでは仕事します、、。

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さて防水加工の参加者用リストバンド、一日しっかり持ちこたえてくれました。
帰宅後ハサミでちょっきん。


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by wa-connection | 2014-05-26 00:54 | finland in general
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昨日5/20のニュースです。
電力事業者であるTVO社が、計画中のオルキルオト原発4号機の建設許可申請の提出期限について、5年間延長申請しました。
国営放送のフィンランド語記事はこれ

英語版はこれ


今日はフェンノボイマが焦点ではなく、これまで問題なく進行しているように見えたオルキルオト4号機の計画について大きな変更が見られそうです。

理由:オルキルオト3号機建設が遅れていて二件も数千億円規模の投資をする余裕が技術的にも経済的にも無い為。
3号機は2005年建設開始~2009年操業開始であったのが現時点で5年間遅延。ターンキーベースで契約をしたはずのサプライヤーAREVAが今ではいつ完成するか見通しすら出し渋っています。
ハード的には9割完成しているんですよ。ただ重要なオートメーション・システムがやっと現在テスト段階です。(ドイツで今年春からテスト中)そしてテストでうまく行っても、オルキルオトに持ってきて稼働がうまくいくかはまた別問題です。

3号機のために雇用されたオペレータさんが前言ってましたけど、「僕たちもうトレーニング9年目で世界でここまで実際稼働前に習熟しているオペレータいないと思うよ」…納得です。別の言い方をすれば、莫大な建設費用だけでなく他にもコストは嵩んでいるわけですね。

そして4号機はメーカーの応札が済み、まだ5社が参加中です。韓国のKorea Hydroはまだ撤退していませんね。以前もうやめるという記事が出たこともあったのですが。

TVO側は今年中にメーカーを絞り込むはずでした。今年の2,3月にはまだそのつもりでいたようです。ただ、政府へ出す4号機の建設許可申請期限が2015年夏であるため、現時点での3号機の状況を見て、一年後にはまだ無理だと。同時に二つの大規模投資をする余裕はないと判断した模様。

建設許可申請の機嫌を5年延ばしてくれというのは政府と国会に出されています。さっそく内閣与党の一党である緑の党が、汚点を晴らすべく「いや許可は出すべきじゃない」といい始めて一波乱ありそうです。
最悪の場合4号機の計画自体がだめになることもありうるわけで、サタクンタ地方はこの2年以内に始まると見込んでいた大きな可能性が無くなるとなるとまたリストラも加速しそうですね・・・
5年間の猶予が認められれば、2020年代後半に4号機が完成する見込みです。なお計画の他の部分には変更はありません(原子炉の型などもそのまま)、スケジュールのみです。

フィンランドの新規原発プロジェクト、こうなるとどちらも危なげな雰囲気になってきました。目が離せません。

今日水曜日にエウラヨキ自治体の議会議長さんも、国全体の利益を考えたら国会で通すべきだとは言っていますが、もし4号機のプロジェクトがだめになってもエウラヨキは既存原発2基と(永遠に?)建設中の3号機でなんとかやっていけると見通しを述べています。

産業大臣であるJan Vapaavuori(ヤン・ヴァパーヴオリ)はこれを受けて、「もし延長期間を設けるとしても、原則決定で設けられた5年間(2010年に原則決定なので、建設許可申請締切が2015年6月末だった背景)よりは短いものになるのは明らかだ」とコメントしています。

ちなみに、時を同じくして、4号機の高レベル核廃棄物を管理処分するPosiva社も同社が関わる原則決定に関して補完となる申請を提出したようです。

隣町のラウマでは商工会議所がこのニュースを理解はできるが地元の発展の観点から大きな影響があると述べています。

<補足>
フィンランドの原子力事情についてはこれまでも数回書いていますが、
2010年(福島原発事故の前です、これは勘違いなさる方が多いんですが)に新規で二基の原子力発電所について国会で原則決定がなされ、大きなプロジェクトが動き出したのでしたが・・・
北部ピュハヨキを予定地とするフェンノボイマ社では東芝とAREVAに絞った後に次々と出資者が脱落、ロシアのロスアトム社の中型原子炉を選ぶ大きな方向転換がありました。さらにロスアトム社を出資者として迎え入れると。あとの問題はフィンランドVSロシアの資本比率です。過半数超えたらどこの国の原子力発電事業者だか分からないですからね。もともとロシアへの依存度を下げる為の新規原発なのに本末転倒ですよ。
ロスアトム社は世界でも指折りに厳しいフィンランドの規制官庁STUKのお墨付きがもらえれば世界市場で仕事もし易くなるという目論見があるようですが。


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by wa-connection | 2014-05-22 05:50 | finland in general