さて2月の仕事の話の続きを。
(画像は、エッセンのデパート、おもちゃ売り場で売られていたカーニバル用チューバッカの着ぐるみ。599ユーロ!
面白い、欲しいかも、と一瞬迷ったけれど無駄遣いだし、持って帰れないしで断念。
後で子どもたちがすごく欲しがっていましたが)自分でお金貯めて買ってくださいな・・・
さてフィンランドに戻って洗濯ものを5回ぐらい回してつかの間の土日を家族と過ごし、久しぶりにご飯を作って、日曜夜にまたヘルシンキ方面へ。
今回はフィンランドの最初の原発、ロビーサ原発に向かいました。
ヘルシンキ駅でラップランド料理(トナカイをご所望だったので)のレストランを予約して差し上げ、たらふくトナカイ料理を召し上がったお客様達と合流。
皆さんは前日ロビーサに着いたのですが、ロビーサは小さな町でトナカイ料理を食べられる所は無く、それで観光がてら日曜にヘルシンキに出てこられたのでした。
実はロビーサ原発の人たちとはやり取りはしたことがありましたが現地へ行くのは初めて。
今回はセミナー形式にて午後は20社からの参加があるもので、午前だけ担当企業とみっちり打ち合わせ。
本当にポジションが上に行くほどスウェーデン語系の人が多い会社だなと思いました。フィンランド、ロシア、スウェーデンで主にビジネスを展開しているという背景もあると思いますが。
ロビーサ原発の構内に入るにはまたパスポートやらセキュリティチェックやら大変なので、そのセミナーもすぐそばにある建物Café Portにて開催されました。
大体原子力発電所は安全の為、実際の作業がなく会議程度ならこうした出入り自由の視聴覚機能を備えた会議用スポットを持っているところが多いのですが、スウェーデンでも今回は素敵な昔の領主の建物での会議でした。
なぜならテロ・機密対策で、カメラ付き機器やPCを持ち込めない発電所も多いため、こういう所の方がパワーポイントを使っての相互プレゼンし易いからです。ですのでこういう所では構内にカメラ付携帯持ち込みなんて言語道断、空港並みのセキュリティチェックがあり、ゲートに入る前にセーフティボックスに電子機器類は預けていくことがほとんど。
職員の人たちは構内専用電話(専用の通信回線の)を持たされている事も多いですね。と言うかそれが普通ですね。携帯電話のネットワークでトラブルがあると連絡が取れない→問題ですから。
余談ですが、1月に、東フィンランドのミッケリにある公立大病院で、某大手の携帯電話回線障害が起こり、医者が捕まらず患者が死亡しかけた事態に発展しました。そこの病院ではその事件の後、別のオペレータにすべて切り替えたようですが、命にかかわる問題ですし、大打撃ですよね。こういった分野でも一社契約だけでは不安ですから、有線、無線、独自回線、トランシーバなど通信手段は多様化しリスクを分散させるべきだろうと思います。(この時は、院内のアナウンスと有線電話を使って何とかしのいだようですが、、)
・・と偉そうなことを言いながらも、ほんとによかったです、全て入構手続きが不要な出張で。。。(スウェーデンに行く前に身分証明書をいったん紛失したアホな私ですので。本当に運が良くて見つかりましたが)
セミナールームではマネキン2体が出迎えてくれました、ええ。フルネームで名前もちゃんとついてましたよ。女性はSatu(サトゥ)、男性はMatti(マッティ)でした、はい。
このセミナーでは、私は英日のウィスパリング通訳をやりました。同時通訳とすこーし違うのは、ブースがない事。フィンランド人、ロシア人、日本人の参加者がいたので、共通言語は英語で。
本来ならば全員がヘッドフォンを付け、マイクに向かってしゃべり、マイクの音声が私のヘッドフォンに届いて私はそれを同時に日本語にするのですが、日本人だけがヘッドフォンを使うというやり方で、私は聞こえた音声を訳している自分の声も邪魔になるのでやりにくかったとは言えますがいいわけですね、はい。(前回同時通訳をやったのはヨーテボリの国際会議でした、あれは二日間もう脇汗をかきまくりました、思い出したくないぐらい・・・)
一週間喋りまくったお仕事でした。のど飴の消費量もけっこうなものがありました。
議事録のために録音起こしされた方は私の「えー、あー」がかなり鬱陶しかったと思われます(汗)、すみません。
16時半に終わって、そのままお客様たちは担当企業の方々と会食へ、私は翌日に中部より北のセイナヨキでの通訳があるため、
バスでロビーサからヘルシンキへ。
バスターミナルで降していただき、解散です。
実はバスの乗り場がまた分かりにくくて、反対側で最初待ってしまいましたよ、人に聞いてタクシーを降りた場所でヘルシンキ行きが来ると
教わり焦ってゴロゴロ荷物を引きずりながら移動。Kouvolaからやってきたバスにぎりぎり間に合ったのでした。
ロビーサからヘルシンキまでは1時間、乗ってた人も途中で降りて、大きなバスに貸し切り状態でした。
Pohjolan Liikenneというバス会社の高速バスですが、バスって、電車より今どこなのか、停留所への残り時間などが
分かりにくいじゃないですか。でもここのは現時点での走行距離と地図が運転手さんの上のディスプレイに常時表示されていてとても分かりやすかったです。さらにバス内にコンセントも各席に設置。
サタクンタ地方のバス会社にも導入してほしいものです。頭上のUSBでしか充電できないので、スマホやモデムは充電可能ですが、PCが充電できないんですよね。
まぁ、ぎりぎりバッテリーで3時間半は使えますが。それに酔うので3時間半ずっと仕事することもないからいいのかな、、。
さてヘルシンキに着いて、30分で乗り換えです。19:06の電車に乗れそうなことが分かったので、ヘルシンキ到着5分前にスマホで電車チケット購入。
晩御飯はKamppiバスセンターの一階にあるシンガポールヌードル屋さんで焼きうどん風のテイクアウト。量が多かったです、、、。
ヘルシンキからセイナヨキはちょっと遠いのでバスは5-6時間かかるし意外と高い。
セイナヨキ在住のVisitLakeusさんにも伺ったところ電車が一番リーズナブルで早いとのことで、電車(前売りなら40ユーロ前後でしたが当日買ったので55ユーロ)で。電車賃は高くなりましたが、仕方ないですね、乗れるかどうかぎりぎりまでわかりませんでしたし。一番遅いのは夜中2時頃到着する便でしたがさすがにそれは避けたかったです。
19時06分に乗って3時間少々でセイナヨキへ。途中下車になります。
翌日の資料をやっと(それまで手が付けられなかった為)読みながら、到着後、二回目のセイナヨキです!
実は8月にカウハヨキ―セイナヨキと家族で車旅行したのでした。その時VisitLakeusさんとも会って、セイナヨキを案内して頂き、
お茶をした楽しい思い出です。
あの時は光あふれる晩夏。ライ麦が畑に黄金色の穂を実らせていました。
今は真冬(でも暖冬)で全国的に灰色の空。
風景も全く違いますね。
宿泊は、交通費が直前の購入で上がることを見越して安いOmenahotel。ここは格安ホテルチェーンで主要都市にあるのですが、コスト削減のため、素泊まりに近いですね。レセプションもなし!
一応8ユーロの朝食付プランにしましたが、自社のカフェテリアが無いので大体近くのホテルやカフェ・レストランと契約し、そこに食べに行くという形式。
部屋に入るときも鍵ではなく、コード番号をメールで知らされて、エレベータに入るときにもそのコードを入力すると該当の階に上がれる仕組みです。
部屋の中に宿泊者用の用紙が置いてあり、自分で記入して部屋に置いてくるという・・・
泊まったのは初めてですが、意外と良かったですよ。
タオルや最低限必要なものはすべてそろっていましたし、ポットにインスタントコーヒーやお茶も置いてありました。
(「Bad Bad Boy」という彫刻家Tommi Toijaの作品のミニチュア版。本物は8.5mもあってヘルシンキの港そばにある市場に2014年8月から2か月、どーんと展示されていました。マネケンのしょんべん小僧とえらい違いですが、モダン版といえるでしょうか。
一目見たら忘れられないインパクトです。そのミニチュア版が恐らく国の役所が購入したアートコレクションである模様・・・うーむ。↑あえて前面からは撮影しておりませんので、どうしてもという方はBad Bad Boyというキーワードで検索してください。
翌朝は新しいお客様達と終日二か所で会議を。
実はその日の内容も新しい分野で、一つの訪問場所であるELYセンター(全国に18か所ある、ビジネス、交通、環境を司る役所)にも初めて行きました。もう一つは国のお役所です。国内政策のみならずEUががっつり関わってくる分野なので非常に全体像が面倒になっているのがよーく分かりました。
皆さん大変ですな。
16時半の電車を目指しホテルから荷物を受け取り、砂利と氷と雪解けの道を走ってまた駅に戻り、電車に駆け込んでなんとかタンペレ経由でポリへ20時前に帰還。
夫たちが迎えに来てくれ、ホッと肩の荷を下ろしました。
私がいない間に息子が体調を一日崩したりして医者に薬局にスーパーにと走り回っていたようですが何とか乗り切ってくれました。
まだまだ忙しい2月は続きます。4件位同時進行でしたからね。
さてこの時はあと一週間半でスキー休暇という時期でした。
今年は日本は長野の野沢温泉に行ってきましたので、その話もまたいつか。