ラハティにて2015年ミニゴルフ世界大会開催
2015年 08月 17日
ポリから電車乗り換えること2回(タンペレ、リーヒマキ、そしてラハティ到着)3時間半でした。
6月のミッドナイトゴルフの時にサービスエリアだけLahtiに止まったんですけど、それはカウントしないことにして今回がまともな滞在なわけです。
仕事でミニゴルフ世界大会総会の通訳に来ました。
このお仕事は実は2回目。
しかも前回は2003年、ドイツのスパで知られるBad Münder。
在フィンの当時在住20年近い大先輩たちから紹介されたお仕事で、
12年前で、フィンランドから出た初めての海外出張でした。
しかも長男が1歳ぐらいで、姑や夫に「行ってらっしゃい!」と背中を押されてハノーヴァーまで飛行機で、そこからDBで電車に乗り、、とスマホもない時代でネットからチケットを何とかドイツ人の友人の力を借りて購入したことを思い出します。
(チケット購入の方で英語版が整備されていなかった)
数十か国が参加する大会で、使用言語は当時役員にドイツ語圏の人が多かったこともあり、ドイツ語&英語。
ブースにドイツ語を英語に訳す人が入り、私は誰かがドイツ語で話した場合はそれをヘッドフォンから聞いてお客さんに訳すという二段階を経た同時通訳でなかなか骨が折れました。
同時に非常に貴重な経験をさせていただきました。
お客様ご夫婦ともとても楽しい出会いで仕事の醍醐味は報酬ではなく、実は出会いが同じぐらい大きな比重を占めるのだと思った体験の一つです。
その2年後の世界大会では、オーストリア開催でしたが、次男が生まれて半年でとても出られる状態ではなく、知人を紹介し、その後近郊の国で開催がなかったのとお客様も会議に出られておらずご縁が遠ざかっていました。
引っ張りますが、もう少し。
この6月ごろに、今年の大会がなんとフィンランドはラハティ開催ということで、携帯電話番号とメールアドレスが変わっていた私をインターネットで検索し、隣町の柔道部で3度ほどやった文化紹介の生け花や茶道の写真から辿り、柔道部にメールを出して下さったり、郵送でお手紙を送ってくださったりして再び縁が繋がりました。
そして昨日一日早く伺い、夕飯をご一緒して積もる話をいろいろ伺いました。12年も経つと、こちらも子供たちが大きくなりお客様にもお孫さんが。いやはや、時はあっという間に流れるものです。
奥さまは日本画家の佐藤緋呂子さんで、当時も旅先の風景を小さなスケッチブックにいつも描かれていました。ドイツで見せてもらった風景の数々。
どうしてこんなに柔らかくて優しい風景に写し取れるのかと写真よりずっと楽しいなと感動したものです。
そしてご夫妻の出身地秋田県の作家で芥川賞を受賞した石川達三さんの復刊本カバーにも緋呂子さんの絵が。
仕事が一段落したらこれらも大事に目で味わって読みたいと思います。
お土産で食べ物もですけど、本が一番うれしいですね。
(いやどっちも捨てがたい・・・)
肝心のお仕事ですが、12年前はドイツやスウェーデンやスイスの人たちの名前が聞き取りにくく、またスポーツ組織独特の構造や関連団体の略称、テクニカル・ルール、法令、など非常に苦労したのですが、今回は事前に資料も頂いて一応90ページ弱全部目を通すことができ、とても助かりました。
時代は変わって使用言語は英語のみとなり、その点でもとても楽になりました。
やはりドイツ語訛り、スイス語訛りの英語は慣れるまで数分かかりましたが(汗)朝食の時喋って顔つなぎしておいてよかった。
会長さんとフィンランドの代表で役員をしている人も「あ~何となく覚えてる!(私も31歳と若かったので老けたなと思われたことでしょう(汗)へぇ12年も経ってまた雇ってもらったの、良かったねぇ」、と。
別のスイスの人とは初めてしゃべりましたが、バド・ムンダーの時も通訳って女子学生だったんじゃないの?とかまたお世辞を・・・もう子持ちだったしそんな年じゃありませんでしたよ。。。でも有難う。あ、フィンランドは社会人学生も多いですし40代の仲間も学位また取りに戻ったりしてますけどね!
消耗しましたが、ほっとしました。
なのでどこにも寄らずに漕いで回るだけだから、と。
私の前に使った人が190㎝級だったみたいでサドルが一番上まで上げられてて足が届きませんでしたよ、、きこきこ下げる。
スキージャンプ開催地(画像にも遠くに見えます)で知られますが、建築物ではヘルシンキ中央駅を設計したエリエール・サーリネンが市役所を手がけています。トップの画像は正面扉のアルコーブ天井。とても綺麗です。
その市役所前にトーベ・ヤンソンの父、彫刻家ヴィクトル・ヤンソンのもう一つの「自由の像」があります。
有名な方はタンペレにある大きなものですが、こちらがもう一つの内戦後、戦勝記念の裸体男性像。ヴィクトルが好んだのは柔らかい線を持つ子どもや女性だったので、これは本当に日々の糧を稼ぐという意味で引き受けた仕事だったのですが、女性像やエスプラナディ公園の魚とあそぶ子どもの像の方がやはり自由気ままに愛しげなラインでいいなと感じました。
有名な方はタンペレにある大きなものですが、こちらがもう一つの内戦後、戦勝記念の裸体男性像。ヴィクトルが好んだのは柔らかい線を持つ子どもや女性だったので、これは本当に日々の糧を稼ぐという意味で引き受けた仕事だったのですが、女性像やエスプラナディ公園の魚とあそぶ子どもの像の方がやはり自由気ままに愛しげなラインでいいなと感じました。
トーベをモデルにしたヘルシンキにある「Convolvuls(コンヴォルブルス:セイヨウヒルガオ)」は父がトーベに指示したように天にまっすぐ伸びすぎていて(笑)そこまで好きではないのですが。
公園通りの反対側にはこれまた対照的な労働者の銅像がありましたよ、よくあるフィンランドの構図。
日曜は会議後、世界大会の練習風景を見せてもらいました。
公園通りの反対側にはこれまた対照的な労働者の銅像がありましたよ、よくあるフィンランドの構図。
日曜は会議後、世界大会の練習風景を見せてもらいました。
あ、フィンランドもね。(まるでとってつけたような言い方・・・)
二年後は世界大会はクロアチアで開催です。
以上自画自賛日記終わり、失礼しました~。
by wa-connection
| 2015-08-17 05:51
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